言葉としての洞窟壁画と、鯨が酸素に生まれ変わる物語
2019,
“Cave mural as narration, and the story of a whale being reborn as oxygen”
瀬戸内国際芸術祭2019・粟島(香川)
粟島芸術村
大小島真木 +ワルリ三兄弟/ マユール、トゥシャール、ビカス+粟島鯨チーム
Images view
素材: 新聞紙、粟島の廃屋の木片や柱、三豊市役所のシュレッダーにかけられた書類、トイレットペーパー、漆喰、ボンド、水、針金、金網、アルミホイル、木の枝、ベニヤ板、釘、動物の革、アクリル、オーガンジー、糸、刺繍、アクリル塗料、ペン、スプレーカラー、銅の留め金具、綿、ウレタン、竹、砂
Text:始まりの洞窟
2017年、私は一体の白い鯨の遺体と海の上で出会った。
皮が溶けて、脂肪がむき出しになっているその身体は、たくさんの鳥や魚たちに食べられていた。
海には、明滅を繰り返す生命が、悠久の時を超えて溶け込んでいる。
”海、生命のスープ”。
ふと、そんな言葉が頭に浮かんだ。
この経験を機に、私は鯨シリーズを作り始めた。鯨の身体はその生命を終えた後も、多様な海洋生物の糧となりながら化石となり、その骸は生態系の家へと変化していく。
"死ねば土になる、そして土からまた生命が生まれる。”
これは、インドの少数民族であるワルリ族に伝わる物語の一部であり、この世の理そのものだ。
私は彼らとともに、言葉としての洞窟壁画と、鯨が酸素に生まれ変わる物語を、編んでみようと思った。
この小さな物語において、鯨は伝達者として、洞窟の中に現れる。そして、生物たちがたえず繰り返してきた生と死の連鎖を、命のあり方を、語る。海、土、山、天、そしてそれらを行き交う多様な命の連鎖がこの地上を作り出しているということ。私たち人間もまたその小さな一部に過ぎないのだということ。
洞窟に描かれている壁画は人類の旅路を語っている。ワルリ族は壁画を描く文化を何千年にもわたって継承してきた。ワルリ族にとって、壁画とは描くものではなく書くものなのだという。それは彼らの書き言葉なのだ。
ワルリ画の起源だとされる壁画が、インドの中央部のビンベトカという場所にある洞窟で発見されている。人はかつて洞窟を住処として、儀式の場として、使っていた。洞窟とは、人類によって物語が語られ始めた〈始まりの場所〉の一つでもあった。
インドのワルリ族の里から日本の粟島を訪れていたマユール、トゥシャール、ビカスら三人の兄弟たち、そして粟島に暮らすたくさんの人たちと一緒になってつくりだした、現代の洞窟。壁面には粟島の廃屋の木を含めた木材の上に、新聞紙や三豊市のシュレッダーの紙を漆喰やボンド、水を使って粘土化したものが塗り込まれている。現在という時が刻まれた材料が溶け、時を遡り、〈始まりの場所〉を形成している。
ワルリ三兄弟はこの洞窟を作りながら、彼らのルーツを再び辿り直していた。そして、先祖たちのまなざしを通して、今日の世界を見つめていた。
伝達者である鯨は、洞窟のなかを泳ぎ、謳う。私たちはその謳声に、耳をすませた。
ワルリ族
ワルリ( Warli )とはインドのマハラシュトラ( Maharashtra)のダハヌ&パルガル地区の山岳地帯と沿岸地域に住むワルリ(Warli)族という先住民族です。主な居住エリアはムンバイの北北の郊外にあり、グジュラートの国境まで伸びています。ワルリ村は、ダハヌ、ガンジャード、タラサリ、モカダ、ヴェダ、パルガール、そしてマハラシュトラ地区のいくつかの他の地域にも広がっています。
ワルリの⽂化はBC2500年年からBC3000年の間に起源があると考えられています。 私たちは独自の信仰、習慣、伝統と生活様式を持っていますが、現代のワルリの多くはヒンドゥー教の信仰も暮らしに取り入れています。 ワルリの習慣と伝統はマザー・ネイチャーを中心に織り成されています。ワルリ村では農業を主な生業とし、また様々な神々を崇拝する儀礼が多く行われています。
ワルリは、マザー・ネイチャー、野生の動物、自然界のあらゆるすべてに、深い敬意を抱いています。
MAYUR VAYEDA / マユール・ワイェダ
謝辞
プロセス
Video archive
鯨の目
Directed, Filmed and Edited | Shin Ashikaga
Music | Curtis Tamm
Other Works
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