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not〈 I 〉, not not〈 I 〉私ではなく、私ではなくもなく

2023, Exhibition

HARUKAITO、東京

Exhibition View

  • "同じさの補遺として", h 161.7x w111.7x d3.2cm, acrylic, oil, fabric

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  • "valnerability" h55.1 x w37 x d 4.5cm, acrylic,oil, fabric, construction scraps

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  • "親密さ" h 80x w 99.7 x d 2.7 cm, acrylic, oil, fabric

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  • photo by Naoki Takehisa

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  • photo by Naoki Takehisa

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  • photo by Naoki Takehisa

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  • Photo by KABO

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  • "Root or route" , clay, glaze Size:14x 12.5 x 11cm, photo by Naoki Takehisa

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  • Front "ヘクセ " Back "パララックスビュー" mixed media

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  • photo by Naoki Takehisa

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  • "human un nature" acrylic, oil, fabric, h 116.7x w80.4x d2.7 cm, photo by Naoki Takehisa

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  • "忘郷人" acrylic, oil, fabric, h 54.5 x w 37 x d 2.7 cm, photo by Naoki Takehisa

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  • "margin" , clay, glaze Size:1h12.5 x w10 x d8 cm, photo by Naoki Takehisa

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  • "Domus" , clay, glaze, metal, Size:h28.5 x w33 x d24 cm, photo by Naoki Takehisa

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  • "領域 Territory- 馬人" , clay, glaze, Size: h19xw23.5d15.5cm, photo by Naoki Takehisa

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    Re forming 《 I 》ver.2
    Year 2023, Video 31:37min
    AIの機械学習(GAN)技術を用いたアニメーションの自動生成
    Anination material created by GAN Technology


    プログラミング:石田重行
    ナレーション: 青木英
    音楽:カーティス・タム
    Programming : Shigeyuki Ishida
    Narration: Hannah Aoki
    Music: Curtis Tamm

    Text :私ではなく、私ではなくもなく

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      文化人類学者のレーン・ウィラースレフは著書『ソウルハンターズ』において、北方の先住民ユカギールの民が、エルクと呼ばれるヘラジカを狩猟する際に行う、ある風習について記述している。

      ウィラースレフによれば、ユカギールのハンターはまず夢の中でエルクと性交渉を取り結ぶ。さらにエルク革のコートを纏い、エルクの動きを巧妙に模倣することで、エルクそのものになりきっていく。そうすることで、彼らは実際の狩りの場において、エルクの群れに接近することができるようになると言われている。

      ウィラースレフはこのプロセスを「ミメーシス(模倣)」と呼んでいる。またウィラースレフはこの時のユカギールの状態を、「動物ではないが、動物ではなくもない」と言いあらわしている。

      ユカギールの世界において、身体という容器を満たしているのは、ソウルだ。狩猟行為において、ユカギールは捕獲対象であるエルクと、そのソウルを介して交感する。ソウルはまた一箇所に留まり続けているものでもない。それは私たちの身体を満たしている細胞と同じように、絶えず流動しながら、複数の身体のあいだ――人間とエルクのあいだを、往来し続けている。

      私が〈私〉だと感じているものもまた、絶えず移ろいつづけているソウルの大河に生じた、束の間の澱みのようなものだろう。その澱みであるところの〈私〉が存続していくためにはしかし、その澱みはただちに解消され、再び流れだしていかなければならない。細胞が絶え間なく流動を続け、部分が活発に入れ替わることで、全体としての恒常性が維持される。生物学者の福岡伸一によれば、この「動的平衡」こそが、生命体が「生きている」という状態である。

      〈私〉が〈私〉としてありつづけるためには、〈私〉は〈私〉でありつづけることを諦めなければならない。すると、その時の〈私〉とは一体、何者なのだろうか。

      それはきっと〈私〉ではない。

      そしてまた〈私〉ではなくもない。

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