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私とは、私たちとは、いったい何者なのか? 奥野克巳評

 

以下のリンク先に文化人類学者・奥野克巳さんによる〈千鹿頭〉展評が掲載されています。

https://bijutsutecho.com/magazine/review/28234

 

美術手帖

大小島真木個展「私ではなく、私ではなくもなく ”not〈 I 〉, not not〈 I 〉“」「千鹿頭 A Thousand Deer Heads」。

「絡まり、もつれ、ほころびながら、いびつに循環していく生命」をテーマに制作活動を行うアートユニット・大小島真木。秋から冬にかけて東京で開催の2つの個展「私ではなく、私ではなくもなく ”not〈 I 〉, not not〈 I 〉“」、「千鹿頭 A Thousand Deer Heads」(〜2024年1月14日)では、絵画、彫刻、映像作品の新作を発表した。2つの展示で大小島が提起する問いを人類学者の奥野克巳が考察する。

REVIEW 2023.12.22

千鹿頭 | CHIKATO

2022-2023, Exhibition, Film

大小島真木 + 辻陽介
Exhibition 千鹿頭 | 調布市文化会館 たづくり

→ 私とは、私たちとは、いったい何者なのか? 奥野克巳評

Film stills

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    Introduction

    美術家の大小島真木、文筆家の辻陽介が、長野県諏訪地方における数度に渡る滞在リサーチを経て、全編を諏訪一帯で撮影した短編映像作品。
    諏訪地方に伝わる神話、信仰、民俗から得たインスピレーションをもとに、生、死、性、食、殺、葬といった生命の普遍的営為がもつ両義的な性格を、創作神話という形式によって表現している。
    現在、調布市たづくり館にて『千鹿頭 A Thousand Deer Heads』を開催中です。2024/1/14(日) まで



    〈 INTRODUCTION 〉

    かつて、八洲を貫く双の亀裂が交わう大土の裂け目に、現世と常世の境界として畏れられた、あやしき森があった。その森には古の神々と、その神々を崇める異風の民が暮らしていた。人々は彼らとその神々を〈千鹿頭〉と呼びならわし、決してその森に近寄ることがなかった。

    ある時、北にある翡翠の国をいでて諸国を放浪していた男が、期せずして〈千鹿頭の森〉に迷い込んでしまった。風の調べと水の香りに誘われるまま、やがて男は〈千鹿頭の森〉の奥深きところへと辿りつく。そこで男が目にしたものは、世にも稀なる巨大なうつぼの玉と、白き妙光をたたえた異形の女だった。














    Credit

    出演

    川合ロン  

    井田亜彩実

    田中基  

    コムアイ

    半々 

    縄文族
    (亜鶴、小野謙治、カツオ、辻陽介、ヌケメ、MADOKA、宮林リョウタ)




    青木和夫 青木匠 石毛健太 大島托 半澤平




    音楽

    池田謙 コムアイ



    サウンドエンジニア

    小野洋希


    オーディオエンジニア

    大川数斗:LLLL



    撮影

    足利森 矢崎研 



    編集

    足利森 大小島真木 辻陽介 矢崎研 



    撮影場所提供

    カナディアンファーム



    劇中登場作品
    (黄色い球体)

    大平和正 「風還元/球体」


    制作

    アートコモンズ
    「対話と創造の森」



    監督

    大小島真木 辻陽介

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      個展 "千鹿頭 A thousand Dear Head"、調布市文化会館 たづくり 、東京
      2023年10月7日(土) - 2024年1月14日(日)
      写真撮影:太田光海





      日本列島の中心には巨大なケロイドがある。

      かつて日本列島は真ん中から大きく二つに裂けていた。首都である東京を含む関東地方、そして長野県、新潟県の大部分はすっぽりと海に沈んでいた。

      日本を大きく二分していたこの原初の傷は、地質学においてフォッサマグナ(大きな溝)と呼ばれている。現在の陸地は、長い時間をかけて海底火山から降り積もった火山灰や生物遺骸の堆積によって形成されたものだ。

      地殻変動によって大地は常に動き続けている。四つのプレートに跨って浮かぶ日本列島は、そうした大地の呼吸のリズムに伴って生成された列島であり、それゆえ多くの断層線が列島を切り刻んでいる。なかでも代表的な断層線として知られているのが、フォッサマグナの西側に位置し、東西日本の境界をなす糸魚川静岡構造線、そして西南日本の地質構造を大きく二分する列島最古にして最大の断層線である中央構造線である。

      断層線は人々の活動とも無関係ではなかった。峻険な山々からなる日本列島において、かつての人々は陸地の移動に際して、断層線に沿って移動していたと言われている。断層は山中に深い谷間や尾根道を形成する。人々がこれらを「自然の道」と見立て、その上を歩いていたであろうことは容易に想像される。

      ところで、日本列島を十字に走るこの巨大な二つの断層線――「自然の道」は、ある地点において交わる。本展のテーマである長野県諏訪地方だ。

      古代日本列島の地層的な“辻”にあたる諏訪は、同時に列島に暮らす東西南北の人々が行き交う文化的な“辻”でもあった。あたかも断層線の裂け目から地球内部の液体が漏れ出ることでフォッサマグナが形成されたように、諏訪盆地には古くから様々な神話や文化、信仰が流れ込み、それらがミルフィーユ状に堆積されてきた。

      縄文時代中期には列島最大の人口密度を誇り、また日本でも有数の縄文土器の出土エリアとしても知られる諏訪では、古代、中世以降も、諏訪祭政体という言葉に象徴される、特殊な政治体制、信仰、文化が息づいていたことで知られている。とりわけ仏教伝来以降、公には禁忌とされていた肉食や屠殺を、大祝と呼ばれる現人神を中心とする儀礼において大々的に行なっていたということは、諏訪地方の他地域とは違う特殊さを物語っている。

      諏訪はなぜこんなにも独特なのか。2022年、私たちは諏訪地方に滞在し、その古い信仰、文化の形跡を訪ね、地質、民俗、神話など様々な側面から、諏訪という土地のに眠っているだろう列島の古層を探った。ある時には、諏訪の山中で鹿狩猟に参加し、森の緑と対照的な血の赤の鮮烈さに固唾を飲んだ。現在まで続く諏訪大社の御頭祭は、古式において七十五頭の鹿の頭を神前に供する壮大な生贄の儀礼であったという。身も蓋もなく循環する命の手触りが諏訪には満ちみちている。

      長野は日本の臍とも呼ばれているが、列島の裂け目の交点にある諏訪とは、まさにその臍の中心部である。そして、その臍の緒はやがて列島の子宮へとも至るだろう。本展では諏訪地方のリサーチから得たインスピレーションを元に、絵画、立体、インスタレーション、映像など、様々な表現手段を通じて、この列島に息づく原型的な思考へのアプローチを試みた。

      根源的不能性

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