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身体をはるかに超えた、地形のような10m絵画について

Photo by Kanako Kakimoto

— 耕して土に根ざす 祈るようにつくる —

アグロス・アートプロジェクトでは、プロジェクト参加者と地域の農業文化をともに学び、美術館でのお米の栽培を通じて得たさまざまな収穫物をもとに、10mの絵画《 明日の収穫 》を制作した。

Report.01

明日の収穫

 

美術館は土とどのように関わることができるのだろう?

青森で制作を始めることになった私が、まず最初に抱いた問いがそれだった。

植えや飢え、豊穣をめぐる人々の祈りは、儀礼となり風習となり、土地土地に根付いている。そうした儀礼や風習が今あらためて見返されることは大事なことだ。私たちが暮らしている土地を地中から支えているのは、そうした無数の祈りに他ならないのだから。

このプロジェクトが行われた青森は冬になると何ヶ月も雪に覆われ続ける。ここはそうした厳しい環境の中で開墾された土地なのだ。

美術館もまた土地に根ざして存在している。人々の祈りと、無数の生命の歴史を宿した土の上に、それは建てられている。

だから、私もこの土の上に立ち、祈ることにした。

やがてその祈りは、アグロスプロジェクト共同体とともに制作した、身体をはるかに超える地形のような10m絵画《 明日の収穫 》へと結実することとなった。

ここでは、その巨大な絵画《 明日の収穫 》について、少しだけ解説してみたいと思う。

 

 

まず、この絵の中心部においては、米という食物と母体の胎が象徴的に絡まりあい、喰らい喰らわれる円環を形作っている。

 

 

真ん中には稲と細胞の断面図が並ぶ。

上腕骨から伸びる稲は、やがて実り、耕作される。

右上にいる”山女”が、その胎で稲を育てている。

その身体や乳首によって稲の豊穣がもたらされている。

その横には”川男”がいる。山女の氷山から氷が溶け、川男の身体に水が注ぎ込まれていく。

その川には魚が住んでいる。”半獣たち”がそれを食べている。

彼らはその川の水を農耕や暮らしに用いる。

川が彼らの生活を支えている。

 

 

半獣たちが耕す田畑では様々なことが行われている。

土起こし、種植え、刈り入れ、あるいは豊穣を願い、災害を畏れ、飢えを凌ぐための祈りも行われている。収穫のお祝いも行われている。

半獣たちの姿を通して、食物を介した土と人間との関係の歴史が、紡がれていく。

 

 

画面左側に目を移すと、人の子供の身体が横たわっている。

頭部には雷、蝶、葉、鳥、魚、微生物が群がり、下半身は木に化成して画面の中心を司る円環へと接続している。

この円環は食べ食べられることの連鎖によって形成されている。

生きものたちはお互いの身体のパーツを交換したり、その身体の中に異なる種の生物の子を宿したりしている。

 

 

円環の左上では狼たちが炎に包まれて咆哮している。

このプロジェクトの始まりに泥炭土を燃やして、狼煙(サルケ)という黒い煙をあげたのだが、今は泥炭が燃料に使われることはない。

狼煙の語源はかつての人々が狼の糞を火種に狼煙を上げていたことに由来するという。

やがて害獣として狩られ絶滅した日本狼の遠吠えを思う。

 

 

画面の左下には不毛の土地を描いている。

制作の最終局面において描き上げた箇所で、全体の中でもとても大事な部分だ。

世界の震源断層地図を見ると、日本エリアは真っ赤なマークだらけだということが分かる。

隆起した3つのプレートがぶつかりあった場所が、私たちのいま生きている日本という場所なのだ。

過去を振り返ると、大きな地震があり、津波があり、幾度となく土地が洗われてきた。

土が潮に一度浸かってしまうと、その土地は不毛化する。再びその地で作物を耕作するためにには血の滲むような努力が必要となる。

今は苗植え機が一般的に使われているが、かつて田植えは人の手で行っていた。

深く腰をかがめて、大地に向かって苗を一本一本植えていく姿は、どこか豊穣を願って大地にひれ伏し、お辞儀をしているようにも見える。

 

 

農業にその人生を捧げた私の祖父の、地面に沿うように曲がりきった腰をみると、農耕以降の人類史を思わずにはいられない。土地と向き合いながら生きて死んだ無数の人々の命の重さと尊さ、その計り知れない重労働を思うと、今踏みしめている土の豊かさに立ち尽くさずにはいられないのだ。

舞踏の身体の動きは、野の草が風にたなびく様子や、農作業に勤しむ人々の動作から着想されたものだと言う。

絵を描くという行為もまた、自然を模倣するところから始まったものだ。かつての人類は洞窟に動物や半獣の姿を描き、自分たちの手に顔料を吹き付け、岩窟面に手型を残した。

芸術の歴史とは祈りの歴史でもあるのだろうか。

二年前、青森の人とともに米を作るところから始まったこのプロジェクトにおいて、私もまたその歴史の一部として存在していた。そして、この巨大な画面の上を歩き回り、腰をかがめ、夢中で踊っているかのように、描き、祈った。土地から得た物質的、精神的な収穫物は、ともに私の血肉となった。やがて、その血肉を糧にこの巨大な絵画は制作された。

 

 

もちろん、私だけの力では描きえなかった。制作には様々なメンバーとの協働が欠かせなかった。

ともに米作をしながら、歴史を紐解き直していくことで気づいたさまざまな発見を皆でシェアし、形、素材、物語へと進展させていった。

画面のいたるところに見られる青い縫込みは、青森の藍を使って染められた布で、米、蝶、銀河、雪、トンボ、ミジンコ、鯨、さつまいも、とうもろこし、蟻、魚、トカゲ、雨水などに、それぞれ象られている。

その布にはさらに、御山参詣の模様や、田んぼの上を跳ねる蛙、藁を焼いている様子や、津波の襲来の光景などが、刺繍によって刻み込まれている。

 

お山参詣が縫われた、藍染の蝶々

 

 

これらのパーツはプロジェクトの参加者が代わる代わる手を施したものになっている。誰かが想像したアイデアを、誰かが藍で描き、誰かが切り取り、誰かが刺繍し、さらにまた違う誰かがその上から刺繍を重ねていった。一体、何人の手がこの藍のパーツの中には入っているのか。

協働によってつくられたパーツは画面の全体へと散らばり、皆の祈りを繋いでいる。

 

 

画面の中央部と、藍パーツのいくつかには、握った手の側面に米絵具を塗りつけて印したハンドプリントがある。参加者たちの無数のハンドプリントが、音となり、リズムとなり、この大画面の中で打ち鳴らされているようだ。

 

 

こうして多くの人々の協働作業によって完成した絵は、《 明日の収穫 》と題され、青森県立美術館に展示された。

私たちが土をこね、作物をつくった手で、作物をつくるようにしてつくったこの絵画が、その土に根ざした美術館に飾られ、多くの人々の目に触れる。そして、その小さな体験がまた、これからの未来、明日に向かって歩んでいくための収穫物となる。

どうかそうなって欲しい。

この土地を生きる誰もがそうしてきたように、私は土に祈った。

 

 

Report.02

アグロスを支えてくれた皆々様に心からの感謝を申し上げます!

 

斎藤さんが作った絵を見るための場所。藁、籾殻、農業用ビニールによって作られている。
“アルス”と題されている。

 

青森の小学生たちによる共同制作版画。青森という地の歴史が刻まれている。
この”黒土がきえるとき”と題された物語には、かつてこの地の森が削られていった様子が動物の視点から彫られ、語られている。

 

二年間の機軸となった米栽培の記録。

 

根と種

 

プランクトンを飲む骨動物とトウモロコシ生物

 

 

 

大地の音

明日の収穫

2017-2018, Project

4650x 9860 cm
帆布、アクリル絵の具、米の絵の具、藍、綿布、糸
展覧会 ”青森EARTH2019:いのち耕す場所-農業がひらくアートの未来 ”青森県立美術館

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