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Re forming 《 I 》

2022, Exhibition

ミクストメディアインスタレーション: AIの機械学習(GAN)技術を用いたアニメーションの自動生成, メッシュとオーガンジーにインクジェット
映像時間: 43分39秒
"コロナ禍とアマビエ " 角川武蔵野ミュージアム

Exhibition View

  • Photo by Osamu Nakamura

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    映像制作協力:石田重行
    テキスト構成協力:辻陽介

    参考文献
    奥野 克巳、清水 高志『今日のアニミズム』 以文社 2021年
    福岡 伸一『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書 2007年
    辻陽介、 近藤祉秋、 奥野克巳『コロナ禍をどう読むか――16の知性による8つの対話』亜紀書房 2021年
    レーン・ウィラースレフ『ソウル・ハンターズ――シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』亜紀書房 2018年
    奥野 克巳, 近藤 祉秋, ナターシャ ファイン 『モア・ザン・ヒューマン マルチスピーシーズ人類学と環境人文学』以文社 2021年
    藤原辰史『分解の哲学 ―腐敗と発酵をめぐる思考』青土社 2019年
    チャールズ ダーウィン『ミミズと土』平凡社 1994年
    ジョーゼフ・ジョルダーニア『人間はなぜ歌うのか? 人類の進化における「うた」の起源』アルク出版企画 2017年
    足立薫、逆卷 しとね「すべてがサルになる 種社会論とダナ・ハラウェイが出会うとき」(『たぐい』 vol.3 掲載、2021年)


    Text:〈私〉は存在せず、〈私〉は現象する

    私たちの排泄物は剥離された身体細胞の欠片だと聞いた。

    口から摂取した食べ物はガソリンのようにただ消費されていくものでもなければ、トンネルを走る車のようにただ身体を通り抜けていくものでもない。

    それらは一度、私たちの身体に溶け込み、私たちの身体を構成する細胞へと変化していくのだ、と。

    やがて古くなったそれらの細胞は、身体から剥がれ落ち、身体の外へと排泄されていく。

    つまり、私たちの排泄物とは私たちにとって、排泄されるその瞬間まで私自身であった何か、言うなれば、小さな私の死骸なのだ。

    分子生物学者の福岡伸一は、細胞が常に流動的に入れ替わり続けていることで、かろうじて生き永らえている私たちの生のあり様を「動的平衡」と呼んでいる。

    これは多分、すでに存在する〈私〉が絶えず動的な状態にあるという話ではなく、動き続け、移ろい続けていることそのもの、その現象の呼称が〈私〉であるということだろう。

    〈私〉は存在せず、〈私〉は現象する。

    そうであるならば、その〈私〉という現象の輪郭とはどのようなものなのだろう。

    その輪郭の淵はどこにあるのだろう。

    排泄物はいつまで〈私〉なのだろうか。

    食べ物はいつから〈私〉なのだろうか。

    私はいつまで〈私〉なのだろうか。

    私はいつから〈私〉なのだろうか。

    〈私〉の輪郭はどこまでも不明瞭で、どこまでが内で、どこからが外なのかさえ判然としない。

    だからせめても、その絡まり合った綻びだらけの輪郭線を、繰り返し、何度でも、辿り直してみたいと思う。

    狭くて小さなこの身体に重ね合わせるように、〈私〉であって〈私〉ではないものたちの輪郭を、想像的に描き直してみたいと思う。

    Re-forming〈I〉

    繰り返し、何度でも。

    曖昧に、跛行する線で。

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