| 11.30.2024
サンルイスポトシの青い鹿⑥
聞いていた通りに、その日のレアル・デ・カトルセはサン・フランシスコ・イシスの祭日を祝う大勢の人々でごった返していた。とりわけ大聖堂前の人だかりはすさまじく、その中心ではさまざまなダンサーたちがフィエスタを彩るパフォーマンスを披露していた。彼らダンサーは地元の人間ではない。こうした祭りに合わせてメキシコ各地を移動している旅の一座だ。キリスト教の祝祭日であるにも関わらず、アステカ文明風の衣装を纏って、アステカンダンスを踊る一座もいた。一般的に考えるならアステカ神話の神々を崇拝しているように見える彼らの存在はキリスト教の側からすれば「ペイガン(異教主義者)」となりそうなものだが、そうした矛盾を気に留めている人はここには特にいなそうだった。
20世紀初頭のメキシコ革命後、さまよえる「メキシコ人」の新たな国民的アイデンティティを確立すべく上意下達で進められたインディヘニスモ運動は、アステカ人を「メキシコ人」の文化的先祖と見立てることで、多様なルーツを持つこの国の人々に「メスティソ(先住民とヨーロッパ系の混血)」としての一体感をつくりだすことを目的として行われたものだった。この運動に対しては現在、それが国家主導の文化統合であるということや、一方で先住民文化をロマン化しつつ他方で先住民をメスティソに対して遅れた存在としてみなしていることなどに関して、批判も多い。実際、インディヘニスモと謳いながらも、先住民の自主性や自治がその運動において強調されることはなかった。
一方で大戦後には、メキシコにおける下からのネオインディヘニスモ運動である「メヒカヨトル」運動も起こっている。この運動は国家主導の同化政策ではなく、先住民やメスティソによる自発的な文化復興運動であり、先住民文化を国家や現代のメキシコ文化の中で再び中心に据える試みだった。とりわけ彼らはナワ族の文明や古代メキシコのアステカ文化に着目し、それを精神的、文化的なルネサンスとして捉え、それに基づいた儀礼や祭典を復活させていく。それはまた移ろいゆく時代の風をも融通無碍に吸収していった。たとえば今日、女性たちの儀礼としてメキシコの各地で開催されているセレモニー「ダンサ・デ・ラ・ルナ」などは、インディヘニスモとフェミニズム、さらにはニューエイジやスピリチュアリズムが合流することによって生まれた、現代における「新しい伝統」儀礼だろう。
実はこうしたネオインディヘニスモ運動に対してもインディヘニスモ運動に対してと同様、批判がないわけではない。それらが出自の異なる複数の文化要素を都合良くパッチワークしたものであるということ、そして、それをざっくり「伝統」だと称しているということ、あるいは下からの文化運動といっても、それらが結局は都市中心の、つまりメスティソ中心のインディヘニスモになってしまっているということ、おもだってはこうした点が批判されている。多分、それらの批判には一定の正当性がある。だが、それを踏まえてもなお、ネオインディヘニスモがもしこの国で興っていなかったらと想像すると、私たちはちょっとゾッとしてしまう。いずれにしても、こうした類の話は四角四面に語り尽くすことができるものではない。できない時はできない侭に、無理に結論を出すのではなく、言い澱みに滞留するのがよいのかもしれない。
祭日を祝うダンスは日中から夜遅くまで行われた。その間もずっとサンフランシスコ大聖堂の礼拝者が絶えることはなく、やがて夜が更けていっても、人だかりはむしろ増していくばかりだった。祭りを締めくくるのは街の中心部で行われる巨大な回転花火のショーだ。これが思いの外、すごかった。ひしめく群衆の上で無数の火の粉がこれでもかというばかりに舞い散っている。日本の安全基準に慣れ親しんだ私たちにはいつ怪我人が出るかとヒヤヒヤものだったのだが、ここでは誰もそんなことを心配している様子はなく、みな衣服に火の粉が降りかかることなどお構いなしに大いに盛り上がっていた。
メキシコ人にとっての祭りを「現実の破裂」と言い表したのはオクタビオ・パスだ。ここで破裂していたのはあくまでも火薬ではあったのだが、その破裂音に合わせてあげられる「ビバ・メヒコ」の歓声の盛大さは、どちらかといえば、つねにすでに破裂してしまっている現実の、その埋めがたい裂け目をせめても覆い隠そうとするものであるようにも感じられた。