| 11.30.2024
サンルイスポトシの青い鹿⑦
翌朝早く、ウィリーと呼ばれるジープタクシーでレアル・デ・カトルセを出た。来た道とは異なり、トンネルではなく山の外周に沿った細い崖道を伝って砂漠地帯へと向かう。舗装などされていないガタガタの道、もちろんガードレールなんて気の利いたものはない。ハンドル操作を少しでも誤れば途端に奈落の底へと急降下だ。おまけに私たちの座席はよりにもよってジープのルーフキャリアだった。
彼女との待ち合わせ場所は、砂漠地帯にある小さな停留所だった。その日から数日、私たちは彼女の家に泊めてもらうことになっていた。出会いは偶然だった。レアル・デ・カトルセでたまたま知り合ったあるアクセサリー職人に砂漠地帯にも行ってみたいという旨を話したところ、そこいらに住んでいる友人がいるよと紹介してもらったのが彼女だった。
停留所で20分ほど待っていたら、遠くに犬を連れて歩く人影が見えた。彼女だ。それが正しい形容なのかは分からないけれど、彼女の容姿や雰囲気は、童話に出てくる魔女そのものだった。にわかに不安が込み上げてきたが、もう後には引き返せない。「こっちだよ」と歩き出す彼女に連れられ、大荷物を背負って灼けつくような日差しの下を30分ほど歩き続けていくと、やがて砂漠の真ん中にポツンと一軒の家が建っているのが見えてきた。
グリンゴである彼女がメキシコにやってきたのはもう数十年前のことになるそうだ。「パーンを探しにきたんだよ」と彼女は言っていた。パーンとはギリシャ神話に登場するヤギ頭の神のこと。彼女によれば、彼女の祖先はずっとパーンを崇拝していたのだが、ある時にカトリックによってその信仰を奪われてしまい、その奪われた信仰を取り戻すために彼女は旅を始め、その果てに辿り着いたのがメキシコだったそうだ。「まあ、ペイガンだね」と言って、彼女はニッタリと笑う。どうやら第一印象に狂いはなかったようだ。彼女は“魔女”だった。
それから数日間、私たちは“魔女”の家で“魔女”と共に過ごした。“魔女”の家では二十頭以上のヤギが飼われていたのだが、それは彼女の生業のようなものではなく、「単にヤギが好きなんだ」と話していた。寝室があるというのに、彼女はなぜか納屋みたいな場所に薄いブランケットだけを敷いて、そこで子ヤギを抱えながら糞に塗れて寝ていた。日中は一緒に砂漠も散策した。そこでは無数のサボテンが地平線いっぱいに生い茂っていた。道中、幾度か野生のヒクリを見つけることもできたが、彼女は「これを採っていいのはウィチョレスだけだ」と言って触れなかった。夜は焚き火を囲み、その火で焼いた芋を食べさせてくれた。火中の芋を彼女が当たり前のように素手で拾い上げている様子には驚かされた。満天の空を臨みながら、にわかには信じられないような、不思議な話を多く聞かせてくれた。
メキシコに移住している外国人は風変わりな人が多い。それはサンクリストバルにいた頃から感じていた。何をして生きているのか、あるいは生きてきたのか、よく分からない人ばかりだった。脛にキズを持つ人や、複雑な事情を抱えている人も多そうだった。それぞれが異なる動機でこの国に辿り着いたのだろうけど、それでも皆が皆、口を揃えて「メキシコは素晴らしい」と話していた。
私たちもそう思う。メキシコは素晴らしいのだ。現代メキシコが抱えている様々な社会問題を鑑みれば、それは所詮、外から来た人間の都合のいいロマンティシズムの域を出るものではないのかもしれない。軽薄で無責任な、ゆきずりの賞賛に過ぎないのかもしれない。けれど、少なくともメキシコには砂漠の真ん中で異邦の魔女がヤギたちとひっそり生きるだけの余白がある。もちろん、その余白にはガードレールなんて気の利いたものはないわけだけど、その分、崖っぷちから奈落を覗き込んで深淵へと想いを馳せることはできる。
「また絶対に戻ってくるんだよ」、去り際に“魔女”はそう言って、私たちを強く抱擁した。すっかり仲良くなってしまった。ウィリクタの砂漠で出会った“魔女”の名は彼女の意向で伏せる。そういうところも“魔女”らしい。人にはそれぞれ四角四面には語り尽くすことの難しい歴史があるのだ。
青い鹿の足跡を追って砂漠まで来てみたものの、そこで見つけることができたものは、黄昏に赤く輝くサボテンの美しさと、心優しいグリンゴの火傷で皮膚が分厚く肥大した手の温もりだった。多分、ウィラリカが巡礼を行う1月や2月にここを訪れれば、また異なる風景と出会えるのかもしれない。果たして私たちは再びここに戻ってくることかできるのだろうか。それもまた全ては縁のめぐり合わせ次第なのだろう。
この旅も終わろうとしていた。“魔女”の友人だという男性の車で最寄りのバス停まで連れていってもらい、私たちはサンルイスポトシ州を出るバスに乗り込んだ。このままシティに戻ってもよかったのだが、帰りに少しだけ隣州グアナファトに寄り道した。レアル・デ・カトルセと同様に銀鉱山によって栄えたグアナファトの色とりどりのバロック建築の街並みは、メキシコで最も美しい街並みとも評されている。その街並みの基礎となる部分は、かつて銀鉱山で富を蓄えたスペイン人がその富を誇示すべくつくりあげたものだ。
高台の安ホテルの窓からその噂に名高い街並みを眺めてみた。まるでお菓子箱のようだなと思った。それはとても甘ったるくて、どこか人工甘味料がたっぷり含まれたバニラアイスのような紛いものっぽさもあった。現在は世界遺産にも登録されているコロニアルエレガンスの街並み――、だけれどいざその街並みの通りを歩き、内側から眺めてみると、実はその歴史的な街路が夥しいグラフィティに塗れていることにも気付かされる。世界遺産なのにお構いなし、全く「ひどい話」ではある——のだけど、その遠近法の視差のうちにこそ、あるいは私たちが感じたかった、あの「That’s all」に込められていた含蓄も潜んでいるのかもしれない。
10月、まだ滞在期間の半分と少しを過ぎたばかり。急ぐことはない。目前にはあの死者の日だって控えている。もうしばらく、この歪つなパララックスの浅瀬に、身をたゆたわせてみようと思う。