| 11.30.2024
サンルイスポトシの青い鹿⑤
ウィラリカにはこんな神話が伝えられている。
“かつてウィラリカの民を飢餓と病風が襲った。長老たちは必要な食料を得るために四人の若い狩人を旅に出すことにした。四人はそれぞれ、火、空気、大地、水を象徴していた。長い旅路の先で四人の狩人たちは美しい青い鹿に出会った。彼らはその青い鹿を追い掛けるが、なかなか捕まえることができなかった。やがて青い鹿は彼らを憐れみ、彼らを精霊の地へと誘い入れた。何も知らずに精霊の地に迷い込んだ彼らは、その青い鹿へと向けて矢を放った。しかし次の瞬間、青い鹿はエメラルド色に光り輝き、サボテンへと姿を変えた。彼らはそのサボテンをウィラリカの故郷へと持ち帰り、長老たちに手渡した。長老たちはそのサボテンを切り刻んで村の全ての人に配った。かくしてウィラリカの民は救われた。”
ここに出てくる精霊の地こそが、今日、彼らがウィリクタと呼んでいるレアル・デ・カトルセ一帯の地域であり、また四人の狩人を導いた青い鹿が化成したというエメラルド色に光り輝くサボテンこそが、今日ペヨーテ(日本名は烏羽玉)の名で知られる幻覚性植物ヒクリである。
あらゆる供犠とは原初の殺人による秩序の回復の模倣である、と説いたのは思想家のルネ・ジラールだった。ウィラリカたちもまた、その原初の狩りによる秩序の回復を模倣するかのように、毎年、神話におけるヒクリ狩りをウィリクタへの巡礼という形で再演している。今日、ウィラリカのコミュニティがあるのは主にハリスコ州やナヤリト州なのだが、毎年1月、2月になると多くのウィラリカたちがここウィリクタへと向けて巡礼の旅を始めるという。かつては農閑期を使って三ヶ月以上かけて徒歩で巡礼するのが一般的だったと聞くが、ウィラリカの生業の多様化に伴い、現在ではさすがに自動車を使用する巡礼者が多いようだ。
また、レアル・デ・カトルセを取り囲む山々のうちの一つには、ウィラリカによって「エル・ケマド(焼けた山)」と呼ばれ、格別に神聖視されている山もある。伝承によれば、その山の頂上は太陽が生まれた場所、すなわち世界創造の地であるそうだ。砂漠地帯でヒクリを狩った末に彼らが最終的に向かう巡礼のゴール地点もまた、このエル・ケマドである。
今日、そのエル・ケマドを登頂することはレアル・デ・カトルセ観光の目玉の一つともなっている。とりわけ馬に乗って山頂を目指すコースが人気のようだったが、私たちは道中をじっくり満喫したかったので徒歩で山頂を目指すことにした。静けさを求めて、まだ日の出ていない早朝5時前にホテルを出た。
決して峻険ではない山道も、赤子を抱えながら歩くと、それなりにこたえる。中腹まで登ったあたりで来し方を振り返ってみると、さっきまではその影さえも見えなかった山脈群が日昇に照らされて姿形を露わにしていた。樹木のない山から見る景色は新鮮だ。遙か一面を見渡しても人影一つない。目に映る生物といえば、放牧の馬くらいのものだった。
山頂に辿り着いた頃にはすっかり明るくなっていた。いつからあるのかは不明だが、山頂中央部にはウィラリカたちがオフレンダ(供物)を捧げるための環状列石が設られている。この列石に皆で座って、彼らはヒクリを食べるという。そうして夜通し歌い踊りながら、太陽の誕生を盛大に祝福するのだ。私たちもまた誰もいないそこで、列石に腰をかけてみた。空が近い。目一杯手を伸ばせば、たゆたう雲に指先が掛かりそうだ。辺りを見渡し、しかしなぜこれだけの山々が立ち並んでいるなかで、この山が特別に「ケマド」だったんだろうかと不思議に思った。かつてこの山が噴火したという形跡は今のところ見つかっていない。それもまた気まぐれな青い鹿のお告げだったのだろうか。
突端の方に向かって歩いていくと、小さな祠のような小屋が作られていた。入り口には色とりどりのリボンや鈴で装飾された鹿の頭部の剥製が掛けられている。内部に入ってみるや途端に鼻腔を刺す強い獣臭。匂いの出どこはすぐにわかった。空間内には小さな祭壇が置かれていたのだが、その上部には夥しい数の、やはり鹿の頭部の皮や骨が、装飾というには無骨に過ぎるレイアウトで引っ掛けられていた。
祭壇の周囲には昨夜から灯り続けていたのだろう蝋燭と、供えられた巡礼者たちのオフレンダが所狭しと並んでいた。その中心には一枚の糸絵が立てかけられている。ウィラリカの創造神話を描いたものだろうか。擬人化された太陽を中央に、鹿やヒクリなどウィラリカにとって重要なモチーフが四方に広がって配置されている。禍々しくも美しい赤はどこか経血を連想させた。オウギサボテンにつくカイガラムシを擦り潰して作るコチニール色素で染めたものかもしれない。いずれにせよ、それはちょっと、並大抵ではない強さを持った絵だった。ウィラリカのアート作品はメキシコシティのミュージアムをはじめ、これまで相当数を鑑賞してきたけれど、これほどの磁力を放つ作品にはそれまで絶えて出会ったことがなかった。
不意に物音がしたので外に出てみると、一人の女性が立っていた。服装や顔立ちからも一目でウィラリカであることが分かる。どうやら、彼女は祠の斜向かいに建てられた小さな小屋で登頂者に向けた売店を営んでいるらしい。「この絵、すごいですね。誰が描いたものなんですか?」。売店の準備をしている彼女の背にそう尋ねてみると、ただ一言「ウィチョレス(ウィラリカ)」と返ってきた。その口調の迷いのなさに再び気恥ずかしさを覚える。ある作品がある個人に帰属するというアイディアは決して普遍的なものではない。そもそも、その絵画は祈りのために捧げられたものだったはずだ。「用の美」に記名はいらないのだ。
売店でいくつか買い物をさせてもらったのち、徐々に熱を増す日差しを躱わすように帰路へと向かった。道中、大きな荷物を担いだ、やはりウィラリカの二人組の男性を見かけた。すれ違いざまに「ありがとう、美しい場所でした」と声をかけると、男性はにっこりと微笑んで「Bien Venido」と会釈してくれた。
その大きな荷物には街で購入した食糧がぎっしり詰まっているという。どうやら彼らはこの山に常駐しているようだった。
今日、ウィリクタの地はその土地使用の権利をめぐって大きな問題を抱えている。2010年、メキシコ政府がカナダの鉱山企業ファースト・マジェスティック・シルバー社にウィリクタ保護区のおよそ70%に及ぶ土地の鉱業権を売却したのだ。ウィリクタ地域は1994年に「文化的および歴史的遺産保護地域」として、2001年にはユネスコによって「聖なる自然保護地」に指定されており、つまりは法的にも保護されるべき場所である。それにもかかわらず、メキシコ政府がこれを無視して鉱業権を発行したことに対し、当然ながらウィラリカたちは強い抗議運動を行った。国際的世論をも巻き込む形で展開されたこの運動は、やがてオブラドール前政権に新たな鉱業権の発行を一時停止する措置を行なわせるに至ったものの、一方で政権はすでに発行された鉱業権については「責任を持って管理される限り取り消さない」との方針を示しており、地域の保護を訴える闘争は今なお継続している。
経済的な利益を優先する企業の活動と、文化的・環境的な保護を求める地域社会との対立。ウィラリカの地において浮き彫りになったこの問題に関しては、2014年制作のドキュメンタリー映画『Huicholes: The Last Peyote Guardians』が詳しい。インターネットで無料で視聴することができるので、是非とも多くの人に観てもらいたい。