| 11.30.2024
サンルイスポトシの青い鹿④
マテワラに到着したのは夕暮れ前だった。
砂っぽい乾燥した荒野にそびえる無数のサボテンを背景に、褪せた色の壁の背が低いティエンダ群が建ち並んでいる。今までメキシコで見た街景色のなかでも、それは多分もっとも「メキシコっぽい」風景だった。通りを吹き抜けるからっ風がとても気持ちいい。少し街の中を散策してみたかったが、あいにくレアル・デ・カトルセへと向かうコレクティーボ(乗合ワゴン)の最終便の発車時刻が目の前に迫っていた。
ここ数百年にわたりレアル・デ・カトルセと盛衰を共にしてきたマテワラには、今日、目立った先住民コミュニティは存在しない。コレクティーボの車窓からマテワラの街並みを眺め、グアチチレの痕跡を探し求めてみたものの、目に映るのは巨大なオウギサボテンと、色褪せたコカコーラの看板ばかりだった。街の名でもある「来るな」という叫びの主体は、もうこの街にはいないようだった。
やがて風景から建物が消えた。見渡す限り一面に広大な砂漠が広がっている。日本ではその開花がニュース番組で報道されるアガベだが、ここでは最もありふれた植物の筆頭である。砂漠のところどころに開花のさなかにあるアガベも見えた。チアパスではマゲイという名で呼ばれることの方が一般的であるこの植物は、メキシコの古代酒であるプルケやメスカルの原材料であり、その繊維は製紙やカバン作りに用いられ、また神話においてはマヤウェルという名で神格化されている(さらに一説によるとメキシコという国名の語源となったメヒクトリというナワトル語の意味は「マゲイのへそ」を意味するという)。そう言えば、サンクリストバルではミキさんやスイスイと一緒にマゲイ紙作りに挑戦したんだった。ほんの数ヶ月前の話なのに、もう遠い昔のことのように感じる。
噂で聞いていた長いトンネルを抜けると、すでに日はすっかり暮れていた。薄闇のなかに灯る蝋燭の火のようにレアル・デ・カトルセの街が姿を現す。建物も道も全てが石造りのその街並みは、確かにこれまで見てきたあらゆる街並みと比較しても群を抜いて美しかった。映画の舞台セットに人々が暮らしているようだ。あるいは時が止まった空間のなかを人々が時を引き連れて彷徨っているようでもあり、どこかいたたまれなさのようなものも感じた。
ホテルに荷物だけ置いて、しばし夜のレアル・デ・カトルセを散歩する。廃墟のような石の街並みが街灯にぼんやりと照らされている様子は、やはり美しい。そう素直に感じてしまう一方で、この街を拠点に採掘された銀が世界を不可逆的に変えたのかと思うと、途端にその素朴な感受性が気恥ずかしくもなる。目の前の光景を歴史から切り離して単純に愛でるためには、私たちも、また世界そのものも、少しばかり歳を取りすぎてしまったのかもしれない。とはいえ、美術に関わる人間の一人として、美の誘引力には結構、弱い方でもあるのだけれど。
街の中心にはこの街の守護聖人とされる聖フランシスコを讃えた巨大なサン・フランシスコ・イシス大聖堂が聳え立っている。少し中を覗いてみようと入ってみたところちょうどミサの最中のようだった。古い木の床は歩くたびにギシギシと鳴り、それが吹き抜けの空間に響きわたる。やおら浴びせられる視線に少し気まずさを感じた。
祭壇横にそえられた聖フランシスコの像が鮮やかな花々と煌びやかなミラグロスで豪勢に装飾されていた。どうやら、この時期は聖フランシスコのための祝祭週間のようであり、数日後に開催されるこの街における年間最大のフィエスタにはメキシコ中から聖サンフランシスコを祝う大量の人々が駆けつけるらしかった。メキシコの人々の信仰心の篤さには、いつもながら驚かされる。間が悪いのか、あるいは良いのか、また奇妙なタイミングに訪れてしまったものだ、と思う。
ホテルへと戻る道すがら、道の脇に店を出していた露天の土産物屋を覗いてみた。基本的には大したものは売られていなかったのだが、ウィラリカの民芸品群にはやはり目を引かれた。キーホルダーやTシャツ、ドリームキャッチャーなんかの定番の土産群に紛れて、ウィラリカらしい極彩色のビーズアートがちらほら並んでいる。なかでも目立っていたのは、青いビーズで全身を覆われた鹿のフィギュアだった。青い鹿――その造形はウィラリカにとって特別な意味を持つ。
この街が現代において再興を果たせたのは、なにも景勝地であるという理由ばかりではない。ニューエイジ思想とネオインディヘニスモがメキシコで合流を果たした1980年代以降、この地にはもう一つ、人々を引き寄せてやまない要素があった。青い鹿、そして、その鹿がもたらす、夢。
人々はそれを「ヴィジョン」と呼んでいた。