| 11.30.2024
サンルイスポトシの青い鹿③
2024年はアンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」発表からちょうど100周年にあたる。
本国フランスでは今頃この美術史的節目を記念する様々な展示が組まれているのだろうと想像するが、実はここメキシコ・サンルイスポトシ州もまた、パリを中心に展開したシュルレアリスム運動にとっても特別なゆかりを持つ地である。州都からバスで6時間、州の東南部に位置するヒリトゥラという熱帯雨林の街には、ラス・ポサスと呼ばれる巨大な森林庭園があり、そこは世界でも最大のシュルレアリスム庭園として知られている。その庭園をつくったのは英国出身の富豪であり詩人のエドワード・ジェームズ。彼はまたシュルレアリスム芸術の最大のパトロンの一人でもあった。
エドワードが支援したシュルレアリストは数多いが、その中でも格別の支援を行っていたのは戦争を逃れてメキシコに移住していた英国出身の若き美術家、レオノーラ・キャリントンだった。その縁もあってか、今日、サンルイスポトシ州にはレオノーラ・キャリントン美術館が二つもある(一つは州都サンルイスポトシに、そしてもう一つはラス・ポサスがあるヒリトゥラに)。そもそも当時のメキシコにはルイス・ブニュエルやレメディオス・ヴァロをはじめ亡命したシュルレアリストが多く住んでいた。メキシコの現代美術史には今日に至るまで彼ら亡命シュルレアリストたちの影響が色濃く感じられるが、おそらくその影響は一方通行ではなく、相互に良い霊感を与えあっていたのだろうと思う。実際、メキシコという国に漂う魔術的な雰囲気には、シュルレアリスム芸術がとてもよく馴染む。いや、メキシコにはそもそもシュルレアリスム的空気がみちみちていた、と言った方が正鵠を射ているのかもしれない。
私たちもまたサンルイスポトシに到着して最初の一週間を、州都からヒリトゥラへと掛けて、それらシュルレアリスムの足跡を辿ることに費やした。レオノーラの神秘主義的な巨大彫像群、そして森林を舞台に展開する雄大なラス・ポサス庭園を鑑賞できたことはひとえに幸福だった。とりわけ、ある個人が抱き、挫折した夢の残骸のようなラス・ポサスの光景には、どこか江戸川乱歩の小説『パノラマ島奇譚』をさえ彷彿させるものがあり、大いに刺激も受けた。ただ、そうした感慨を差し置いて、その旅路で何よりも私たちの心に残ったのは、ヒリトゥラの街においてレオノーラ・キャリントン風の造形がすでに地元の民芸品の中にもはっきりと入り込んでいるということだった。レプリカでもなければ、オマージュというのでもない。異教主義的で神秘主義的なレオノーラの特異な造形が、すでにヒリトゥラでは「ヒリトゥラの造形」として定着しつつあるようなのだった。
これはちょうど現在のオアハカにおいて代表的な伝統民芸品として知られるアレブリヘが、その実、1930年代にある一人の人形職人ペドロ・リナレスが夢のお告げに基づいて制作したという奇妙な人形群に端を発しているという歴史を彷彿させる。アレブリヘという名称自体、リナレスが夢で聞いたという無意味な文字列に過ぎない。しかし今日、アレブリへは一般名詞としてメキシコ社会に広く浸透し、その奇妙な造形はオアハカ文化、ひいてはメキシコ的なマジックリアリティを代理表象する造形として「伝統」の名の下に民藝化されている。
メキシコにおいて「伝統」というものが決して過去に閉ざされたものとはなっておらず、また個人の作品と集団的な民藝との境界についても極めて曖昧に設定されているようだということは、サンクリストバルにいた頃から感じていた。サンクリストバルの隣村であるサンファンチャムラ村に暮らすツォツィルの人々が彼らの教会で行われているシンクレティックな儀礼に現代の商品であるコカコーラを神聖な飲料と見立てて取り込んでいるという話はつとに知られている。大らかというべきなのか、無節操というべきなのか。この地においてはあらゆるものが、伝統という名のブラックボックスに、信仰という名のメルティングポットに、吸い込まれていってしまう。
思えば、メキシコでの生活を始めて間もない頃、まず驚かされたのはトウモロコシ粉から作られるメキシコのソウルフード「トルティーヤ」の万能性だった。本当に何にでも合うのだ。定番のケサディヤ食材は言うに及ばず、たとえば私たちが日本から持ち込んだ出汁の素を使用して作った日本料理の残りものだってトルティーヤに巻き込んで食べればバッチリ美味しい。それこそ納豆にだって合うし、中華にだって合う。それでいて、トルティーヤに巻き込んだ途端に全てがきちんと「メキシコの味」になる。
メキシコでは至るところで見かける「SOMOS MAIZ(私たちはトウモロコシだ)」という言葉は単なるこけおどしではないのかもしれない。この地には、たとえ目新しい外来のものであっても全てをトルティーヤに包んで、丸呑みにしてしまうだけの消化力がある。西洋から持ち込まれたキリスト教だって例外ではないだろう。歴史の教科書を通してメキシコに万とあるカトリック教会群を眺めたなら、それらは押しつけられた信仰として、コンクエストの傷痕としての像をしか結ぶことはない。ただ、そうした外部からのナイーヴな視線とは裏腹に、実際にはメキシコの方が西洋のキリスト教を取り込んだのではないかと思える時もある。それこそ、メキシコの民はイエスもマリアも天使たちもトルティーヤで包んで、サルサソースと一緒にまるっと飲み込んでしまったのではないか。アルダマで見たウィピルを着たマリア像が脳裏を掠める。それはけだし、「彼らの伝統」だった。
ともすれば毒さえも消化してしまう、そうしたメキシコの強靭な胃袋が、時に外の目にはシュールレアリスティックな状況として映る。往年のシュルレアリストたちがこの地に魅せられた理由も、案外、その辺りにあったのかもしれない。少なくとも私たちは、ヒリトゥラの街角にレオノーラ・キャリントン風の陶芸を並べている民芸品売りの屈託のない笑顔が、たまらなく好きだ。たとえその逞しい溌剌が、否定すべき歴史のなかで育まれたものだったのだとしてもだ。
ヒリトゥラでは毎週日曜日になると地元のティーネク系の人々によるダンサのフィエスタが開催される。ここらへんはティーネク系先住民が多く居住するワステカ地域の最北部にあたり、このまま南下すれば、熱帯のワステカン・ベラクルスへと至る。そこには私たちがかねて興味を抱いてきたベラクルスの伝統的な粘菌食「カカ・デ・ルナ」の手掛かりもあるはずだ。朗らかなダンサとワステカ文化の呼び声、そして街の壁を彩るやはりレオノーラ風のグラフィティ群に後ろ髪をひかれつつ、しかし私たちはひとまずヒリトゥラを出て、西北へと向かうバスに乗り込んだ。目的地はレアル・デ・カトルセ、およそ10時間の旅路だ。
標高2800メートルの高地にあるレアル・デ・カトルセに辿り着くためには、途中でマテワラという街を経由する必要がある。そこはかつてチチメカ内戦を戦ったグアチチル系の人々が遊牧していたエリアであり、その地名もまたグアチチレの言葉に由来するらしい。マテワラ、その意味するところについては諸説あるものの、一説によればその言葉は「来るな」という意味であるという。