| 11.30.2024
サンルイスポトシの青い鹿②
近代資本主義を生み出したのは「プロテスタンティズムの倫理」である以前に、新大陸からもたらされた大量の銀だった。
16世紀以降、新大陸からヨーロッパへと持ち出された大量の銀は、ヨーロッパに大量の銀貨をもたらし、価格革命と世界経済の一体化、そして企業家による資本の蓄積を引き起こした。その蓄積がやがてヨーロッパ社会を商工業化していく。有名な三角貿易もこれらの銀なしには成り立ちえなかった。そして、その大量の銀の採掘地の一つとなったのが、メキシコだった。
銀を大量に採掘し、持ち出すためには、銀鉱山を採掘するだけでは事足りない。輸送のためのネットワークが必要だ。メキシコ中央部の銀鉱山で採掘された大量の銀を輸出するためにも、まずそれらの鉱山と他の街々とを繋ぐ道路の建設が欠かせなかった。しかし、その一帯にはすでに多くの先住民たちが暮らしていた。自分たちの土地に突如として現れた異邦人たちがその土地を好き勝手に開発しようとしていたら、当然ながら反発が起こる。まして、その人間たちが自分たちのことを奴隷としてしか認識していないような人間たちであったならば、なおさらだ。こうして争いが起こった。ミシュトン戦争、そして40年間の長きに及んだチチメカ戦争だ。
戦禍の舞台となったのは、現在のサンルイスポトシ州一帯。反乱の主力はチチメカ・グアチチル系の先住民だった。彼らの反乱は熾烈を極めた。鉱山と街々を繋ぐ道路の建設は、スペイン軍の鉄の鎧をさえ突き抜いたというグアチチルの黒曜石の矢尻によって幾度も妨害され、遅々として進まなかった。やがてスペイン側は統治の戦略そのものを見直さざるを得なくなる。力による支配を試みるかぎり、反発は強まるばかりだ。この地を平定するためには平和を「購入」する必要があった。
この交渉政策において活躍したとされるのがミゲル・カルデラという人物だった。彼はスペイン人の父とグアチチル人の母を持つ、初期のメスティソの一人だ。メキシコ史には時折、侵略者と先住者のあいだで実存を引き裂かれた人物たちが登場する。コルテスの通訳者としてコンクエストを補助したマヤ系先住民のマリンチェ、逆にスペイン人でありながら先住民社会に溶け込み、彼らと同じ入れ墨を皮膚にまとってコルテス軍と戦ったゴンサロ・ゲレーロ。ミゲル・カルデラもまたそうした系譜に連なる人物の一人と言えるかもしれない。
かくしてミゲルは土地や品々を引き換えとすることで、グアチチルの人々に条件付き降伏を承諾させることに成功、その功によってサンルイスポトシ市の創設者となる。現在のサンルイスポトシ市のソカロ(広場)は、1592年にグアチチルのリーダーであったモクアマルトが、ミゲルに降伏を宣言した場所だとされている。
コンキスタドールにとって、チチメカ戦争は大きな学習だった。その後、ミゲルが行った交渉戦略は先住民懐柔政策の定型として用いられ、大規模な衝突は次第に数を減らしていくことになる(そうとはいえ、19世紀におけるユカタンのカスコ戦争、チャルコのフリオ・ロペスの反乱、メキシコ革命後のヤキ族の反乱、そして20世紀のサパティスタ蜂起など、メキシコ近現代史の傍らではその後もつねに、先住民による反乱の火が燻り続けてきたのだが)。歴史家フンボルトが「世界で最も富裕な地域の一つ」とまで称した、メキシコの銀の時代の到来だ。今日、コロニアルエレガンスとして旅行者を魅了しているサンルイスポトシ、サカテカス、グアナファトなどの色鮮やかな街並みは、いずれもこの銀鉱山貿易で得た富の恩恵に他ならない。
とりわけ、サンルイスポトシ州の北部には、当時、銀の産出量において世界二位を誇った銀鉱山の街がある。レアル・デ・カトルセ。かつて14(カトルセ)人のスペイン兵士がこの地で先住民に襲撃されて命を落としたという出来事に由来する地名を持つその街は、銀鉱山の閉鎖後、一時期は廃村化していたものの、その山間にポツンと佇む特異な立地ゆえの好景観と、建物も道も全てが石造りという古色をとどめた美しい街並みによって、今日、多くの旅人たちを魅了し、そのアクセスの悪さにも関わらず観光地として再興している。
そして同時に、その街を含む一帯のエリアは、ヒクリ(ペヨーテ)を用いた儀礼で有名なメキシコ先住民ウィラリカ(ウィチョール)の人々にとっても特別な土地であることが知られている。彼らの神話においてウィリクタと呼ばれているその地は、世界誕生の起源となった「青い鹿」が暮らすウィラリカ最大の聖地であり、また彼らの儀礼にとって欠かせないヒクリの収穫地でもある。
私たちの旅の目的地もそこだった。ただ、そこへと向かうためにも、まずは一度、州都サンルイスポトシ市へと向かう必要があった。かつて銀の恩恵によって栄えたその街には、今日さほどの観光資源は見当たらず、穏やかで平凡な地方都市という以上の印象はない。市行政もその「地味」さを意識していたのだろう。市内には近年、かつて監獄だった建物を大幅に改装した、ある美術館が開館されている。2011年にメキシコシティで亡くなった最後のシュルレアリスム画家であり、今日最もその再評価が進んでいる女性美術家の一人、私たちもまた心から敬愛している、レオノーラ・キャリントンの美術館だ。