Correspondances | 12.25.2022

《万物は語る》第五回

ゲスト:糞 語り部:伊沢正名
千葉市立美術館|つくりかけラボ09|大小島真木〈コレスポンダンス〉

動物、植物、鉱物、地形、現象……、異能の語り部たちを通して語られる、人間以外の万物たちの言葉。パフォーマンスプログラム《万物は語る》第五回目のゲストは〈糞〉、語り部は糞土師の伊沢正名さんです。(2022.11.13)

 

 

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こんにちは、うんこです。

うんこには名前というものがないんです。

だから、うんこです。

今日は初めて人間相手に話をするということで緊張してます。

ただ、うんこには人間の言葉が話せないんです。しかし幸いなことに、うんこには人間のシモベがいます。

シモベは人間界で「糞土師」と呼ばれています。

そこで、今日はシモベである糞土師の脳みそに紛れ込んで、便宜上、糞土師にうんこの代弁をさせたいと思います。

 

 

早速ですが皆さんに紹介したい言葉があります。

「うんこの僕(しもべ) 糞土師が解く 糞土真宗 糞陀の教え 他力糞願 悪人糞機 うんこは己を映す鏡」

これはうんこのシモベである糞土師が説いている糞土思想の教えです。

何かに似てますね。

そう、浄土真宗の親鸞聖人の言葉に掛けているんです。

数年前に私のシモベである糞土師が浄土真宗のお坊さんと対談し、その時に作った言葉です。

親鸞は仏教の一宗派である浄土真宗の開祖ですが、仏教そのものの開祖は仏陀です。

実はこの仏陀も糞土思想の持ち主でした。

というのも、仏陀の言葉に「人間は糞袋に過ぎない」という言葉があるんです。

知ってますか?

「人間は糞袋に過ぎない」

これはどういう意味でしょう。

仏陀によれば人間には9つの穴があるんです。

目の穴が二つ、鼻の穴が二つ、耳の穴が二つ、そして口があり、生殖器官があり、肛門がある。これでちょうど9つです。

では、この9つの穴を使って人間は何をしてるのでしょうか。

目からは目くそが出る。鼻からは鼻汁や鼻くそが出る。耳からは耳くそが出る。口からは痰とか反吐が出る。下半身については分かりますね。その穴という穴から汚物を垂れ流しているんです。

つまり、人間は偉そうにふんぞりかえっているけど、その中身は糞に過ぎないんです。だから人間は糞の容れ物、「糞袋」に過ぎない。これが仏陀の教えなんです。

もちろん仏陀だって人間です。だから仏陀もまたうんこに過ぎないわけです。仏陀というより糞陀といった方が当たっている。そこで糞陀と呼んでいるわけです。

親鸞聖人だってうんこです。だから、他力本願じゃなくて「他力糞願」。悪人正機じゃなくて「悪人糞機」。これが糞土真宗の教えです。

では糞陀はなぜそんな教えを説いたんでしょう。

所詮、糞袋に過ぎない人間はこの地球上でもっと謙虚に生きなくてはいけないと伝えたかったからです。

「うんこは己を映す鏡」です。糞袋であるあなた方はもっとしっかりうんこに、つまり自分自身に向き合わなければならないんです。

これはもう何千年以上も受け継がれてきた大事な教えです。ちょっと糞土師がアレンジを加えてはいますが、人間はずっと昔からうんこのことを大事にしなければいけなかったんです。

ただ、最近の人間はうんこのことをあまりに知らなさすぎるように見えます。

単に知らないだけじゃない。偏見まで抱いてしまっている。

うんこなんて臭くて汚いゴミだ。

そんな風に思っている人もいることでしょう。

でも本当にそうでしょうか。

そこで、これからうんこの本当のところについて、皆さんに話そうと思います。

 

 

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まず、基本的なお話をしましょう。

うんことは何か。つまり、うんこの定義です。

皆さん、うんことは何であると思いますか?

答えは単純明快です。

生き物は生きるために食べ物を食べます。食べたらそれを消化して必要な栄養を吸収し、吸収しなかった残りカスがうんこになります。そして、そのうんこを体の外に出します。

つまり、うんことは食べ物を消化吸収した後に体の外に出す残りカスのことなんです。

皆さん、最近は「生物多様性」という言葉をよく聞きますよね。この世界にはいろんな生き物がいて、その多様性こそが大事なんだ、と。

人間社会だってそうですね。今までは人間には男と女しかいないと思われてきた。でも、本当は人間にも色んな性がある。LGBTQと言われるように、数え切れないくらい多様な性があり、それらが調和していくことが大事なんだと、そういうことが言われる時代になっています。

実はうんこにも多様性があるんです。

確かに自分のうんこというのは、自分自身が消化吸収した後の残りカスです。でも、この地球上には何千万種類という生き物がいますね。それぞれの生き物がそれぞれのうんこを出している。つまり、うんこにも多様性がある。この「うんこの多様性」について考えると、うんこはただのカスではなくなってくるんです。

皆さんがうんこを考えるとき、まず人間のうんこを頭に描くと思います。その次に考えるのは多分、動物のうんこですね。牛、豚、魚、虫だってうんこをします。ここまではみんな分かる。

でも、生き物は動物だけですか?

違いますね。植物も生きている。菌類も生きている。そうした地球上のすべての生き物のうんこを理解しないと「うんこの多様性」は分からないんです。

それでは皆さん、植物のうんこがどんなものか分かりますか? 菌類のうんこがどんなものか分かりますか?

この美術館の近くにも大きな木がありますね。あの木も元々は小さな小さな種だった。小さな種から芽生えて時間をかけてあんなにも大きくなっているんです。

大きくなったということは成長したということです。成長するためには何かを食べて栄養を取ってきたということです。そして、食べ物というものは100パーセント消化吸収できるものではありません。何かを食べたら必ず残りカスのうんこが出るんです。

じゃあ植物はどんなうんこをしているんでしょう。あんなに大きな木に育ったんです。これまでどれだけの食べ物を食べてきたのか。食べたら食べたぶんだけ、うんこもしてきたはずです。

いきなり植物のうんこについて考えてみろと言われても戸惑っちゃうかもしれませんね。ではこう考えてみたらどうでしょう。

生きるために体内に取り込むものが食べ物で、それに対して体から出したものがうんこである、と。

こう考えると分かりやすくなります。

植物はどんな食べ物を取り込んでるのでしょうか。まず植物は土の中の水分と栄養分とを根っこで吸収しています。そして葉を使って光合成をするときに、二酸化炭素と太陽の光エネルギーを取り込んでいるんです。これが植物が育つための食べ物です。では、その光合成のときに植物が出しているものとはなんでしょうか。

そう、酸素です。

実は植物にとっては土の養分と二酸化炭素、光エネルギーが食べ物に、そして光合成によって排出される酸素がうんこになるんです。

今、皆さんはうんこについての話を耳をすませて聞いているわけですけど、その際にも何かを食べながら聞いてるんです。

皆さん、呼吸していますよね。ということは、皆さんは今、植物のうんこを食べながら話を聞いているわけです。今だけじゃありません。皆さんは生まれてから死ぬまで休みなく、植物のうんこを食べ続けているんです。

皆さん人間にとって植物がいかに大事か、お分かりになりましたでしょうか。植物がいなければ、あるいは植物が酸素といううんこをしてくれなければ、皆さんは1秒だって生きていくことはできません。

しかし、人間はそんな自分たちにとって大切な植物を平気で切り倒したり刈り取ったりしますね。

自分たちにとって邪魔だからという理由だけで、たとえば庭に雑草が生えれば、「こんなもの!」って言って刈り取ったりしてしまう。時には除草剤を撒いて殺してしまったりすることもある。自分を生かしてくれている、呼吸をさせてくれている植物に対して、皆さんはそんな扱いをしているんです。

 

 

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では、次に菌類のうんこについても考えてみましょう。

さっきよりも分かりづらいかもしれません。菌類と一口に言っても、キノコ、カビ、酵母、バクテリアなど色々います。人間の目には見えないサイズの菌が多いので、ちょっとイメージを掴みづらい。

だから、ここでは目に見えて、皆さんにとっても馴染み深いキノコを例に考えてみましょう。

さて、キノコは何を食べてどんなうんこをしているんでしょうか。

キノコというのはよく落葉や枯れ木なんかに生えていて、実はその落ち葉なんかを食べています。

どうやって食べているか。多分、皆さんが思い浮かべるキノコの姿というのは、菌類が胞子を作るときに形作る子実体です。でもキノコの本体は、細い糸状の菌糸が大きく成長した菌糸体なんです。キノコの食事もこの菌糸体の状態で行われます。

キノコは何かを食べるとき、その菌糸体から消化酵素を出すんです。そして、落ち葉などを分解、消化して、必要な養分を吸収し、いらないものはそのまま取り残します。

その取り残されたものがキノコのうんこです。取り残されたものが何かというと土を肥やす無機養分と二酸化炭素。そして二酸化炭素は空中に放出しているんです。

動物のうんこというのは、肛門から形になったものが出ます。でも植物や菌類は環境全体に、大地とか大気中にうんこをばら撒いているんです。

さっき話したように植物のうんこは酸素です。その酸素が、すべての生き物の呼吸を可能にしています。

一方、菌類のうんこはまず無機養分となって大地を肥やし、植物たちの栄養になります。同時にキノコは植物の光合成の材料になる二酸化炭素も出しています。

すると、菌類のうんこによって植物たちが生きていることになります。そして、その植物の体や、そのうんこである酸素を、人間をはじめとする動物たちが食べています。

うんこは自分にとってみればカスかもしれません。でも他の生き物にとってはうんこは命の源になるんです。それくらいうんこは大切なものなんです。

どうでしょうか。「うんこの多様性」について考えてみると、うんこによって紡がれる大きな命の循環があることが見えてきたのではないでしょうか。

うんこはこんなにも大事なんです。それなのに、あなたがた人間は、何も知らずにただうんこを差別している。だから、今日は私はその怒りを伝えたくてここに来たんです。

 

 

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当然、あなたたち動物のうんこもただのカスではありません。

実はキノコの中にも動物の死体とかうんこに生えるキノコがいます。カビとかバクテリアもそう。彼らはうんこに取り付いて、うんこを分解していく。動物のうんこが消化されて菌類のうんこになれば、それもまた植物の命に変わるんです。

人間のうんこも本来なら自然の中で他のものを生かす大切な働きをしていたんです。

たとえば、この写真を見てください。

 

 

これは北海道の牧場で私のシモベの糞土師が撮った写真です。

まず馬がいますね。そして牧草がある。さらに馬糞があって、そこからキノコが生えている。

つまり、ここには動物と植物と菌類とうんこがある。

この4つの存在がどういう風にお互いを生かし合っているのか。さっきお話しした通りですね。

皆さん人間は動物ですので、ここでは馬です。馬は牧草、つまり植物を食べて生きています。そして、それを消化吸収した残りカスを馬糞として出します。この馬糞をキノコが食べます。キノコは馬糞を分解する過程で土の中に無機養分を残します。さらにキノコは空気中に二酸化炭素といううんこもします。その無機養分と二酸化炭素が、今度は植物である牧草の食べ物になります。牧草は光合成をして酸素といううんこを出します。そして、その酸素を動物が吸います。

このように、地球上の生き物たちは共生し、命を循環させているんです。

植物だけでもダメ、動物だけでもダメ、菌類だけでもダメ。動物、植物、菌類、この三通りの生き物がいるということが大事で、それぞれがそれぞれをそれぞれのうんこによって生かしながら、地球上の自然を、生き物社会を成り立たせているんです。

みなさんが生物の授業で習っただろう動物、植物、菌類による生態系の循環の図では、おそらくうんこという概念がないんです。

植物は無機物から有機物を作りだす生産者、動物は植物が作った有機物を食べて生きる消費者、そして動植物の死骸とウンコを分解する菌類は分解者。生産者、消費者、分解者という役割で見ています。これはつまり、生き物として見ていないということです。

植物も動物も菌類も生き物です。きちんと生き物として捉えていかないと自然の本当の姿は見えてこない。生き物として捉えていくことで、みんな食べ物を食べてうんこをしてるということが見えてくる。そのようにうんこまで視野に入れていくと、植物はただの生産者ではなく、植物も菌類のうんこを食べる消費者であることが見えてくる。動物もただの消費者ではなく、うんこという大切な物を作り出す生産者であることも見えてくる。それが生き物の世界、つまり自然というものなんです。

人間がそれぞれの生き物に固定した役割をあてがってしまうのは、人間社会がそのようになっているからでしょう。たとえば企業が従業員をどう捉えているかというと、生き物ではなく、労働力として捉えています。いかにお金を稼ぎ出すかといった特定の目的に合わせて従業員を捉えてしまっているわけです。

でも従業員だって生き物です。物を生産するだけでなく、生活もあれば家族もいます。決して特定の役割にだけ当てはめることなんてできないんです。

そして大事なことは彼らの幸せが自分たちの幸せに繋がっているということです。そのことを企業が考えられていたら、今のような格差社会にはなっていないわけですね。

相手がいるから自分も生きていられるんだという気持ちを持つことができれば、もっともっと世の中は良くなるんじゃないでしょうか。

 

 

実は糞土師の言葉の中に「お金はうんこだ」というのがあるんです。企業は内部留保だなんてお金を溜め込まずに、どんどん給料として社員に出して社会に廻していけば、みんな豊かに幸せになれるんです。お金もうんこも溜め込んではダメなんです。

だから、この話はただうんこがどうのこうのということだけには収まらないんです。うんこは命の根源にあるもので、生命の循環を繋ぐものでもあるから、うんこに目を向けると分かりやすいというだけなんです。私のシモベである糞土師が普段から語っているのは、うんこを元にした世界全体についての話なんです。

 

 

 

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さて最後にシモベである糞土師の紹介もしておきましょう。

なんで彼は私のシモベになったのか。それはうんこの大切さに気づいたからです。

彼が最初に野糞を始めたのは1974年の1月1日です。だからもうすぐ49年、およそ半世紀になります。

彼は毎朝山に行って野糞をしています。これまでに15847回の野糞をしてきました。糞土師は基本的に一日一便のようですから、一年間毎日野糞をしても365回しかできない。10年やっても3650回。それが15847回です。よくやっていると思います。シモベとして合格です。

ただ、糞土師でも時には野糞ができない場合もありました。街中にいて下痢をしてしまったり、電車でもようして駅のトイレに駆け込んだり、そういうこともありました。

でも糞土師は連続野糞記録というものも持っています。13年と45日です。日数にして4793日連続です。その間には東京に泊まりがけで行ったこともあれば海外旅行をしたこともあったようです。それでも全て野糞で通した。なぜ彼はそこまで野糞にこだわるのでしょうか。

人間は何かを食べて生きています。その食べ物は肉や魚や野菜や穀物です。キノコのような菌類も食べます。これらは全て生き物です。つまり、生きるということは他の生き物を食べて、その命を奪うことなんです。

ただ、そんな人間もうんこを自然の中に戻せば、つまり野糞をすれば、自分のうんこで他の生き物を生かすことができる。つまり奪った命をお返しすることができる。そのための方法が野糞なんです。

糞土師がつくった糞土思想に大事な言葉があります。

「食は権利 うんこは責任 野糞は命の返し方」

今お話ししたように、食べるということは他の命を奪うことです。人間は自分で栄養は作れない以上、これはしょうがないんです。他の生き物を食べるしかない。それは生きる権利として認めるしかないんです。

そして食べればうんこが出ます。うんこは人間が何かを食べてその命を奪った証拠でもあります。皆さん、自分のうんこを綺麗だと感じますか? 臭くて汚いと感じていますよね。でも元々は美味しいご馳走だったんです。そのご馳走を臭いウンコに変えたのは誰でしょう。自分自身なんです。

つまり、うんことはあなたたちが何かを食べて命を奪い、美味しいご馳走を汚物に変えたという責任の塊なんです。

では、どのようにその責任を果たせるかというと、汚くなってしまったうんこを再び綺麗にして、奪った命を返すことです。そのための方法が野糞なんです。

糞土師はこういう悟りを開いたわけですね。だから15000回以上、49年間も野糞をし続けた。

でも、山がすぐそばにある田舎ならまだしも、都会ではどうしていたんでしょうか。どうやら都会でも公園や神社仏閣の森などで野糞をしていたようです。

神社の森というのは人間にとって聖域ですよね。そんなところで野糞するのはけしからんと思う人もいるかもしれません。ただ、糞土師にとっては違います。野糞は奪った命を再び自然に返すことです。こんな尊いことは他にないんです。

実は「野糞は命の返し方」に続く言葉があります。

「ヒトがつくりだすもっとも価値あるもの、それはうんこ」

それともう一つ。

「人間にできるもっとも崇高な行為、それは野糞」

だから神社とかお寺とかの聖域でも糞土師は野糞をしています。

むしろ、糞土師からしたら、うんこをトイレで流してしまう方がよっぽど罰当たりなことなんです。とにかく命を返していないわけですからね。

そんな糞土師でもピンチだったことはありました。連続野糞記録に挑戦している最中、彼は南米旅行に行っているんです。それはインカの遺跡をめぐる旅でした。

彼はその時も野糞で通しているんですね。ホテルの中庭でも野糞をしていたようです。ただ、最後に困ったことになりました。

糞土師がインカで一番行きたかったのはマチュピチュ遺跡です。当然、旅行の前にマチュピチュ観光も予約していました。ところが、いよいよ明日はマチュピチュだとなったときにふと不安になってしまったんです。マチュピチュには世界中から大勢の観光客が来ている。そんなところでもしも野糞が見つかってニュースになってしまったらどうしよう。そう思ったんです。

日本国内であれば野糞が問題になったとしても糞土師の伊沢正名という個人が非難されるだけです。ただ、それがマチュピチュだったらどうでしょう。伊沢という個人の話にはならないんです。日本人観光客はこんなところで野糞をするけしからん人々だ。そうなってしまう。つまり、日本人全体に迷惑がかかってしまう。そう考えると糞土師も困ってしまった。

糞土師が出した結論は、その日の一回の野糞のためにマチュピチュ観光をキャンセルするというものでした。人間社会の常識で考えればとんでもないやつですね。でも糞土師にとっては大事なことなんです。奪った命を返す野糞ほど尊い行為はない。その一方でマチュピチュに行きたいというのは個人的な願望に過ぎないんですから。

結局、糞土師はマチュピチュ観光をキャンセルし、一緒に旅行に来ていた糞土師の奥さんもとばっちりを食ってマチュピチュに行けませんでした。当然、お冠です。それが原因かは知りませんが、その何年後かに糞土師は奥さんに逃げられちゃったようです。たった一回の野糞のためにマチュピチュと奥さんを棒に振った。見上げたシモベです。

そこまでやってるからいろんなことが言えるわけですね。

 

 

皆さんの中で野糞を普段からやってる方はあまりいないと思います。

すると、皆さんはトイレでうんこをしていることになります。

トイレにうんこを流したら、そのうんこがどうなるのか、知っていますか?

まず、流されたうんこは下水処理場にたどり着きます。そこで処理されて汚泥というものになり、その上澄みの水分は、消臭殺菌して河川に放流されます。残った固形物の汚泥は水分を絞った上で燃やされます。それによって体積はぐっと減りますが、まだ灰が残っている。その灰をどうしているか。セメントの原料になるんです。つまり、コンクリートとして固めちゃうんです。確かにコンクリートにすれば、これは建築資材ですから、人間社会にとっては有効利用ではあります。

でも、うんこの元は命ある生き物なんです。そのうんこを燃やして、灰にして、コンクリートに固める。コンクリートを食べる生き物なんてほとんどいませんよ。

つまり、うんこがコンクリートに固められてしまったら、もう生き物の世界には戻ってこられないわけです。命の循環が途切れてしまうんです。

というわけで、最後にうんこから皆さんへのお願いがあります。

 

 

頼むから、俺をトイレに、流さないでくれ!

 

 

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伊沢正名 いさわ・まさな/茨城県生まれ。糞土師。1974年に信念を持って野糞を始める。2021年より糞土塾を主宰。

 

記事内におけるドローイング以外の写真や図は “Ⓒ伊沢正名” になります。

 

 

 

 

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