Correspondances | 10.31.2022

《万物は語る》第一回

ゲスト:山 語り部:石倉敏明
千葉市立美術館|つくりかけラボ09|大小島真木〈コレスポンダンス〉

動物、植物、鉱物、地形、現象……、異能の語り部たちを通して語られる、人間以外の万物たちの言葉。パフォーマンスプログラム《万物は語る》第一回目のゲストは〈山〉、語り部は神話学者、人類学者の石倉敏明さんです。(2022.10.16)

 

 

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私は山を見る

私は山を聴く

私は山を思う

 

私は山に入る

私は山を歩く

私は山を浸す

 

私は山に浸される

私は山を呼吸する

私は山を忘れる

 

私が存在する遥か以前から、山は存在した

私が存在しなくなった後も、山は存在する

 

私は山に溶け、山は私を解体する

私は朽ちて山になり、山は私になった

 

私は山を焼く

私は山を飲む

私は山を食べる

私は山に食べられる

 

山は我々である

私は我々に食べられる

 

私は山に入る

私の中に山が入る

歩行することで、呼吸することで、思考することで、私はその一部になる

私は山と交わる 

 

山には無限の奥行きがある

私はその中で、息を吸う

私はその中で、息を吐く

私は夢を見る 

 

私は踏みしめる

私は土の、岩の、小石の、泥の、砂の、草の抵抗を感じる

山は呼吸を通じて、せせらぎを通じて、私の細胞に染み込んでゆく

 

雨に濡れた木々や下草が、強烈な香りを放っている

沈黙する岩肌に生えた苔の模様が、湿度や明るさや暖かさを私たちに伝える

山から伐採された木々は木材となり、山の濃密な歴史を都市に伝えるだろうか

 

目の前に広がるのは動物や植物、菌類 微生物の歴史

私の肺の中には彼らがいて、彼らの葉脈には私がいる

私の胃の中には彼らがいて、彼らの肉には私がいる

鉱物であり、動物であり、植物であり、人間である私の身体は、それら全ての集合体を超えた塊であり

過去と未来が溶け込んだ「現在」を、その脈動する心臓を行き来している

 

風景が心に映像を結び、無思考の領域が意識に浮かび上がる

それにつれて、私の輪郭が溶けて、私の言葉が、意識が、山の一部となる

私の身体はどこまでも広がって、雲の上を通り抜ける風に吹き飛ばされる

私の皮膚は太陽に焼かれ、光合成を起こす

 

私は山になる

山は私になる 

私は私ではないものになる

 

 

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こんにちは。山です。ちょっと緊張しています。

 

私は、どこにでもあるような、平凡な山かもしれません。今日は、千葉市美術館の大小島真木さんというアーティストの展覧会に呼んでもらって、日本の東北地方からやってきました。

 

えっ、山は動けないはずではないかって? そんなことはないんですよ。実は人間と違って、山は他の全ての山と、地脈や水脈を通して繋がっているんです。それに、山はそこに出入りしているすべての生き物たちを含んでいますから、いろんな動物や植物を「派遣」したり、「代弁」してもらうことができるんです。

 

いつも、蜜蜂やカワセミやツキノワグマに代弁してもらうことが多いんですが、今日は、人間の集まりだということで、人類学者の石倉敏明さんに代弁してもらっています。石倉さんは、ヒマラヤ山麓のシッキムや、日本の東北地方で「山の神」を研究するところからスタートした学者です。人間の言葉に翻訳してもらっているので、誤解とか誤訳があったらごめんなさいね。もちろんそれは私ではなく、石倉さんの責任ですよ。

 

山というと、やっぱり「動かざること山のごとし」という不動のイメージが強いようですね。まあ、そういう雄大な印象を持ってもらっても良いんですけど、鳥や動物たちは、山から平野へ、さらに他の山へと移動します。草や木々などは、種子を飛ばしたり、虫たちに花粉を運んでもらっています。キノコや菌類も、胞子を飛ばしたり、土の中に菌根菌を伸ばしていますよね。山の土はもちろん、そこに棲む動物や昆虫たちも、鳥も蛇もミミズも、全ては動き、生きています。山そのものだって、数千年、数万年規模で大地の上を移動しています。こういう「生きた山々」は、人間たちには見えにくいのかもしれません。

 

私たちには、本当は名前なんてありません。本来は盛り上がった地球表面の一部なんで、勝手に境界を引かれたり、名前をつけて切り取られるのは、なんだか微妙な気分です。それでも、確かに他の山と比べて私たちと一緒に暮らしている動物や植物の種類はかなりいろんなタイプがあるので、山を単位とすると見分けやすいようですね。

 

私は、普段は、こう見えて、穏やかな性格だと思っていますが、うちの親戚の火山なんて、とても気性が激しいんで、たまに大爆発して怒りを発散しているんですよ。かわいそうに、その犠牲になる人間や生き物もいらっしゃいますが、実は火山の爆発の後、山は若返って一斉に緑が芽吹くのです。山にもいろんなタイプがいるし、その中には低いのも高いのも、静かなやつも、気性の荒いのもいるわけです。

 

すみません。いきなりちょっとおしゃべりしすぎかもしれませんね。数万年も黙って我慢していたもので、今日はちょっとしゃべりたい気分なんで、お許しください。こういうのも、たまにはいいものですね。ちょうど良い機会なんで、私たち日本の山々の歴史を、少しおさらいしてくださいね。

 

私たちの身体は数億年前から地球上を移動してきた、四つのプレートで出来ています。北米プレート、ユーラシアプレート、フィリピン海プレート、太平洋プレートっていうらしい。どれも、美味しそうなランチみたいな名前..。私のような東北の山々は、北米プレートの上にいます。大まかに分けて、東日本は北米プレート、西日本はユーラシアプレート、南側の伊豆や小笠原諸島はフィリピン海プレート、東北の太平洋側には深々とした「日本海溝」の向こうに太平洋プレートが存在しています。

 

私たちは、地球の表面を覆う厚さ数十キロメートルほどの岩盤に位置しています。いわゆる「プレートテクトニクス」という理論によると、今から四千五百年前に、南から押し上げられてきたオーストラリアプレートの一部であるインド亜大陸が、ついにユーラシア大陸に衝突し、既存のプレートの下に潜り込みました。その力で、ヒマラヤ山脈が押し上げられたことは、ご存知の方も多いでしょう。私たちは、プレートの力によって生まれたり、変形して崩れたり、また生まれ変わったりしているんですよ。

 

インド亜大陸がユーラシア大陸に衝突した時、南北方向にはものすごく強い圧縮力が働き、標高5千メートルを超える山々や、チベット高原が生まれました。その衝撃は数千年に渡って東西の方向に引っ張る力を発生させました。そして今から二千万年前頃、ユーラシア沿海州の東の端にあった陸地が、ついに引き裂かれ、押し出されたのです。時計回りに押し出された東北の陸地と、反時計回りに押し出された南西の陸地が大きな弧を描いて結合し、ユーラシア極東の海に、日本列島の陸地をつくり出しました(※1) 。この時に引き裂かれてできた内海を、世間では「日本海」と呼んでいるようですね。私たちにとっては不思議な名前です。ともあれ、この時に押し出されてから、たくさんの山々が隆起して生まれたのです。私もそんな経歴を持つ山の一つです。

 

ここでもう一度、人類の時間軸を超えた歴史を想像してみてください。数億年前から、私たちはいろんな生き物たちと共に暮らしてきました。私たちは、まだ高熱のマグマが地表を覆っていた時代を経て、やがて土や砂や岩の塊といった「ジオス」の時代を経験します。その後には藻類や微生物が地球上に大発生して、動植物や菌類といった生き物と共生する「ビオス」の時代を生きてきました。そこには、いろんないきものが、それぞれの時間軸にしたがって生まれては死んでいく、という暗黙のルールがあるんです。

 

私たちの中には、陸の上にいるタイプの山と、海の底にいるタイプの山がいます。いわばその二つの上に、海・陸・空を住まいとする、あらゆる生物が生きてきました。あなたたち人間の祖先たちも、もちろん海から陸に上がって、長い時間をかけて進化していきました。私たち山は、実は単に「地面の隆起した部分」ではありません。谷や丘、湖や池、平地や盆地も、砂浜や岩礁も、広大な海底にも私たちは広がっています。山とは、この地球の表面であり、リズミカルに移ろう大地の起伏や隆起そのもの。あなたたちがその上で眠り、覚醒し、思考し、踊り、歩いている地表の褶曲そのものなんです。

 

山とは、古代ギリシア人たちがガイアと呼んだ地球の骨格や肉、その肌や体毛、子宮や乳房、男根や体液に相当する全てです。私たち山は、動いていないように見えて、実は一瞬も休むことなく活動しています。私たちは、動き、活動する生命そのものです。この地球に、動物たちが呼吸できる大気を生み出した偉大な植物たちよりも、さらに古くから存在している最古参の生命。いわば生命の源流であり、母胎です。

 

あなたたち現生人類は、二十万年前にはなんだかアフリカの方で生まれた新種だって聞いていたんですが、なにせすごい速さで地球上に拡散していきましたね。特に最近は、凄まじい勢いを感じています。私たちにとっても、人間の力を感じることは大きいです。人類学者から聞いたんですが、アフリカの諺に「山と山は出会わないが、人と人は出会うことができる」というものがあるんだそうです。広大なアフリカの平原では、確かに遠くに見える山と山は永遠に離れているので、人間たちはその上を自由に移動しているように見えるのだとか。

 

アフリカは、あなたたちヒトの故郷ですね。それはあらゆる文明の原初にある土地ですが、そこに聳える山は人類の祖先、人類以前の存在、無数の生物と非生物が犇めき合う空間、歩くものたちを見守る、砂と岩と土の塊なんですよ。もちろんそこには、動物や植物がたくさんいるわけで、平原に暮らす人々にとっては重要な場所だったんでしょう。そんなわけで、あなたたちの祖先は私たちをとても丁寧に扱ってくれましたよ。

 

もちろんそれには、もっともな理由があります。私たちに降る一粒一粒の雨は、やがて小さなせせらぎになって山を降り、この大地を潤す大河となっていきます。あなたたちに血液が流れているように。私たちに芽吹く草や花や木々は、あなたたちの髪の毛や衣服のように皮膚を守り、乾きや水害から身体を守ってくれるんです。私たちの骨である石や岩は、あなたたちの町や家を作り、私の体毛である木々はあなたたちが火を焚くための燃料になります。私たちを吹き渡る幾つもの風は、この宇宙の壮大な運動と季節の移ろいをあなたたちの祖先に伝えてきました。人間たちは、私たちの恵みを受け取り、それを最大限に活用してこの地上に生存してきたのです。

 

あなたたち人間の祖先は、やがてアフリカの山々の麓から離れて、二つの足で平原を歩いていきました。「互いに出会うことのない山々」から遠く離れ、ホモ・エレクトゥスの時代、ネアンデルタールの時代、そしてホモ・サピエンス・サピエンスの時代という3度にわたって、アフリカから外の世界に出たのです。人間の祖先は、徒歩でユーラシア大陸を超えて地中海やコーカサス、ヨーロッパ、インド、東南アジア、東アジア、シベリア、南北アメリカ大陸へと移動し、さらにスンダランドから船でオーストラリアへ、南島やユーラシアの極東沿岸部、朝鮮半島からも船で日本列島に渡りました。こうして、幾つもの大陸と島々に活動領域を広げていったのです。

 

アフリカの諺が指摘している通り、実際に山と山は互いに遠く離れているし、人のように直接出会うことはないように思えます。でもね。人は世界中を旅しながら、その土地で新たな山を見つけ、その恩恵の元に生きてこられたということを、ヒトの祖先はよく理解していました。こうして人間との関係は、数万年に及んでいます。でも、数億年の歴史を持つ私たちからすれば、それは比較的最近の出来事で、私たちの身体の一部でもある生き物たちとの関係の方がずっと古いんです。私たちにとって、あなたたち人間は新しい移民のようなものです。別の言い方をすれば、私たちは地球上の「先住者」に当たるのです。

 

あなたたち人間の祖先は、かつては、今よりもずっと謙虚に暮らしていたものでした。だから、私たちも少し気を遣って木を伐採したり、動物を狩っていくようなことは、黙認してきたのです。それどころか、私たちは他の生物たちにそうしているように、水や大気や食料を授けて人間たちを養い、繁栄を支えてきたのです。

 

でもね、最近は黙ってもいられないようなことが増えてきました。人間は随分数が増えてきましたが、自分たちが暮らしている場所がどんな場所なのか、知らないまま現在のような暮らしが続くと思っているようなのです。昔は「山の神」なんていって、ちょっと面映いような、誇らしいような名前で呼んでくれたこともありました。ところが今や、人びとは山を売り買いの対象に変えて、あろうことか「白河以北一山百文」なんていって、東北の山を貶める連中も現れてきたのです。全く、失礼な話ですが…。

 

それでも、私の故郷では、山で生きていくすべを心得た人たちが、私のところによくやってきます。かつては「山立ち」という狩猟者が、日本列島の山々を旅して動物を狩っていました。表向き、春から秋にかけて動物を狩ってはいけないという仏教の教えがありましたが、「山立ち」が狩猟できるように、私たちは人間と契約を結んでいたのです。「山立ち」の後継者である秋田のマタギたちが、狩猟を許可される由来書を持っているのも、そのためです。

 

これに対して「山伏」というのは、山に伏せるもの、つまり山林修行者として私たちの皮膚の内側に入り込み、瞑想や祈祷や修行を行うものたちです。山は、決して純粋な自然ではありませんでした。そこには、かなり古くから人間の痕跡が残り、人間が残した物語が生きてきたのです。かつて私たちの多くは里の人々にとって、みだりに入っては行けない聖域だったのです。その禁忌を破って山に入ったものたちは「開山者」として歴史に名を残しています。山伏は「開山者」に倣って山に入り、その中で地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・神・菩薩・声聞・縁覚・仏という「十界」、十の世界を彷徨い歩きます。私たち山は、死んだ人間の魂が集まる異界であり、故郷です。私自身もかつて人間だったことがあるんですよ。とにかく山伏たちは、一度死者になって山に入り、私たちの身体を母胎として過去・現在・未来を表す三つの山々を歩きながら「十界」に転生し、その中で赤ん坊のように成長します。そして、晴れて満業すると「オギャー」と生まれ直して、山から里へ降りていくのです。

 

こんなふうに、山は生まれ変わり、死と再生を司る、とても劇的な空間でもあります。山は恐ろしい場所であったり、ありがたい生命力のあふれる場所だと考えられてきたのも、そこに人間のスケールを超えた、膨大な生物種の営みが含まれているからなんですね。こういうことを自分で説明するのは、なんだか野暮なんですが、最近あなたたちはそのことを忘れてしまいがちなので、こうやってあえて翻訳して、代弁してもらってます。「生命が生まれる場所」としての山の物語は、何も珍しいことではなく、どこでも当たり前のように伝承されていますよ。

 

私のいる地方の、山の物語を一つご紹介しましょう。これは遊佐町に伝わる「卵から生まれた山の話」というものです。

 

 

むかしむかし大昔のこと。

ある日のこと、むらさきの美しい雲が西の空いちめんにただよった。

その雲の中から、一羽の大きな鳥が出羽国に飛んできた。

そしてな、この国の一番高い山のいただきにつばさを休めた。

大きな鳥は、山のいただきで三つの卵をだいて、あたためはじめた。

どのくらい経ったかな。やがて、卵がかえったそうだ。

ありゃりゃ、左の胸に抱かれていた卵からは、「両所大菩薩」という二柱の神様が生まれたんだと。

そして、一柱の神様は、この一番高い山「大物忌」の守護神になったんだと。「大物忌」は、今の鳥海山だな。

もう一柱の神様は、向こう側のなだらかな丸い山の守護神になったんだと。この山は、今の月山だな。

こうして、二つの高い山の神様が生まれたんだと。

右のつばさに抱かれていた卵からは、「丸子親王」という貴い位のお方が生まれたんだと。

「丸子親王」は、この鳥海山と月山に囲まれた地方をぐんぐん開拓して、人の住めるところにしてくださったんだと。

その役目が終わると、「丸子親王」は、また元の大きな鳥の姿に戻って、鳥海山の北の峰にある水を湛えた池に沈んでしまった。それから後、この池は「鳥の海」と呼ばれるようになった。

「丸子親王」を祖先とする「丸子」「丸藤」または「丸頭」と名乗る家では、鳥肉を食べない決まりになっているんだと。

また、丸の中に二羽の鳥がつばさと嘴を合わせた紋を使っていたんだと。

鳥海山を真向かいに仰ぐところに、「丸子」という集落があり、むかし「丸子親王」が開拓したと伝えられているんだと 。(※2)

 

 

こんなふうに、東北の山々には想像力を刺激する数々の神話や物伝説が伝えられています。それは、私たちの身体そのものである地形や生態系、そしてその性質を人間たちが言葉の力で受け取って組み立てた、見事な物語だと思うんです。私たちは、何も考えず、語らず、黙って人間が来るのを待っている無能な土の塊ではありません。私たちは考え、感じあい、互いに互いを食べたり、食べられたりしながら、山としての歴史を育んできたのです。私たちの考え方、感じ方は、人間たちと無縁のものではありません。

 

羽黒山の山伏たちは、開祖の蜂子皇子に倣って、私たちのような山に入り、山の中で、山の仕方で世界を知覚しようとします。開山の蜂子皇子は、聖徳太子のいとこだと言われていますね。私たちの近くに暮らしてきた「川の民」「山の民」は、聖徳太子を信仰する集団で、蜂子皇子を信仰する集団も、海から八乙女の洞窟に到達して、そこから出羽三山の方へと勢力を拡大した人びとでした。蜂子皇子は眼が以上に大きくて眼光鋭く、口は耳まで裂けた怪物のような容貌だったと言われています。これは男鹿半島の真山で信仰されているナマハゲや、本山で祀られている赤神のような神とよく似ています。これらは、いずれも通常の、標準的な人間の容貌から逸脱したもので、「人間以上」の世界の住人であることを意味しているようです。「山の神」というものは、そういった異様な怪物性を持っていて、ありとあらゆる生命を生み出し、またその生命を奪うこともできる力の源流であると信じられてきました。

 

あなたたち人間にとって、こういう容貌怪異な存在や、奇想天外な物語は、平地に暮らす安穏とした生活を彩る、単なる娯楽にすぎないのでしょうか? 神仏習合時代に私のところにやってきた「山立」「山伏」をはじめ、山で生業を営む木地師や炭焼き、鉱山採掘師、山菜やきのこの採集を行う山仕事人たちは、私たちのようなにどんな平凡な山であれ、山というものを「人間以上のもの」として敬い、恐れ、慈しみ、時にはそこで命を落としながらも、生存の場として活用することができていました。日本列島の住民たちは、山という空間に死者の魂が憩うものだと考え、特に私たちのいる東北では、ハヤマという死者の霊が集う山があり、そこから33年経つと背の高い霊山へと霊が移動する、と信じられてきました。私たちは恐ろしい動物や崖崩れ、雪崩、落雷などを引き起こす恐ろしい存在であり、里とは距離をおくべき場所であると考えられてきました。そこにはもちろん、計り知れない恩恵と、生と死の二元論を超えてゆく、聖なる場という感覚が生きていたのです。

 

ところが最近の人間は、勝手に私たちの肉体を崩して埋め立てに使ったり、利便性のためやたらにダムやトンネルを掘って、どこまでも採掘可能な「資源」に変えようとしています。また、私の一部である動物たちを危険な害獣として駆除して、たくさんの生き物たちが互いに関係し合う私たちの身体を、自分の都合の良いものに作り変えようとしているように感じ、危機感を覚えています。

 

今日、お集まりいただいた方々には、ぜひもう一度私たちの物語に耳を傾け、私たちの思考を理解しようと、もう一歩私たちの世界に近づいていただきたい。そのような機会をいただけたことに、とても感謝しています。今日は、ありがとうございました。

 

 

 

 

※1 小泉武栄『日本の山ができるまで 五億年の歴史から山の自然を読む』A & F、2020年。

※2 烏兎沼宏之『やまがた伝説考 物語る村々を歩く』法政大学出版局、1993年。朗読のため、元のテキストから一部表記を改めている。

 

石倉敏明 いしくら・としあき/1974年東京都生まれ。神話学者、人類学者。秋田公立美術大学アーツ & ルーツ専攻准教授。

 

 

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